PROFILE
図師 鉄平
( ズシ テッペイ )
10月16日 生まれ
東京都小平市出身
小学校時代、少年野球とスイミングに通い
小学5年生の時には少年野球で
日の丸を付け中国に海外遠征へ。
北京・上海・天津の3都市で親善試合をする。
しかし中学校に野球部がなく、
きっぱり野球を辞める。
中学3年生の秋に親の転勤で
東京から福岡に移住。
即、高校受験を迎える訳だが
当然、何も分からないので
担任の先生に挙げてもらった受験候補の中で
家から1番近い高校を受験し入学する。
しかし、その1年後に引っ越し。
転校が嫌だったので
引っ越し先から通学することに。
家から1番近いという理由で選んだ高校だったのに
結果、毎朝5:30に家を出て
1時間半程かけて通学するはめになる。
そんな中、
将来の夢をスポーツトレーナに設定し
体育大学進学を目指ようになる。
体育大学卒業後には
アメリカに渡りライセンスを取得し
そのままアメリカで実績を積み
30歳手前で帰国し
プロスポーツ選手やプロチームと
専属トレーナー契約を結ぶという将来設計を
高校1年の終わりには決めていた。
そして
大阪体育大学を受験する。
大阪体育大学への進学も決まり、
受験の為におとなしくしていた髪型を変えるため
美容室へ行くことに。
高校3年間担当してもらっていた
美容師さんに
大学進学の報告をしたところ
『図師くんは美容師も向いてたかもね』
という一言が人生を変える事になる。
あまりに早い段階で将来設計が
固まっていた為に
自分の進路は体育大学の一択で
他の選択肢を考えたこともなかった。
”美容師という道もあったのか”
と自分の進路の選択肢の中に
美容師という職業があったことに
今更ながらに気づく事になる。
そして翌日には
美容学校の願書を請求し
唯一受験日の残っていた
福岡美容専門学校を受験。
合格通知が届き、
大学進学をするか美容学校進学をするか
悩みに悩んだ挙句
福岡美容専門学校へ進学。
美容学校では
実技実習以外の学科の時間は
全て寝て過ごす。
再試や追試をなんなくこなし
無事に卒業する。
福岡市中央区大名にあるサロンに入社。
このサロンは高校時代に
通い続けたサロンである。
入社後、
最速でシャンプーテストに合格。
入社3ヶ月目にはカットモデルに入り
サロン史上最速の
入社6ヶ月で
スタイリストデビュー。
その後
幾度とロンドンに渡り
VIDAL SASSOON の歴史や哲学、
骨格理論や技術理論を学び
VIDAL SASSOON 公認の
エデュケーションディレクターの
ライセンスを取得する。
当時
10数店舗あった所属サロンの
カット教育の責任者として
教育プログラムを構築する。
VIDAL SASSOONのライセンスは
1年毎の更新制だったため
毎年ロンドンに渡り更新試験を受ける。
結果、
ロンドンへは8回程訪れることに。
そのうちの1回で
大事件を巻き起こす。
『寝坊飛行機乗り遅れ事件』
出発前日
仕事を終え帰り着いたのは深夜1時位。
何一つ荷造りしていなかったので
1週間分の荷造りをしたり
風呂に入ったり
気付けばすでに深夜3時半。
フライトは7:30発。
5:30には家を出る予定だったので、
あと2時間。
寝るか、起きておくか・・・
寝坊が怖かったので
起きておくを選択。
座ってテレビを眺めて・・・
気付いたら時刻は7:40
意識失ってました。
飛行機はすでに飛びってましたね。
翌日、
1日遅れでロンドン入りするという
悪夢のような経験をしました。
話はそれましたが
ライセンス取得を機に
サロン以外での
カットセミナー講師も
させて頂くように。
その他にも
ミス日本九州大会のヘア担当
東京コレクションのヘア参加
海外でのセミナー&ヘアショー担当
全日本VIDAL SASSOONカットコンテスト入賞
フォトコンテストでの賞獲得
など様々な経験を積み
サロンワークをベースに
セミナー活動や
新たな美容師の価値領域拡大の為
福岡を長崎県対馬の2拠点で
サロンワーク奮闘中。
趣味は
『 海外一人旅 』
五感全てが新鮮になる場所
を求めて旅をしてます。
旅のテーマは
『 何もしない為に旅に出る 』
普段の生活とは真逆の
時間を過ごす為に
予定は決めない
時間は意識しない
ただただ、何もしない
その為の
最高のロケーションや気候などで
行き先は決定。
どこに行っても日本語で突破します。
「こんにちは」と「ありがとう」だけ
現地の言葉で言えれば問題なし!
治安も内戦や戦争が
起こってなければ問題なし!
もちろん日本みたいには行かないけど。
それもまた旅の醍醐味って事で。
in LONDON
入賞
ヘア担当
in LONDON
・ミス日本九州大会
ヘア担当
ヘア担当
(エデュケーションディレクターライセンス更新)
ヘア担当
ヘア担当